convivialのある生活

楽しく生きることについて感じたことを心理学や人間関係の視点から書い綴ってます。

ギャップを無くすにはどうしたら

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photo by Leonard John Matthews

ちと研究でしていた話。

この記事はこんなこと書いてるよ

  • ギャップはどこにでも存在する
  • 初心者とプロの間に立てる人がいるといいよね


当たり前のことなんだけど、なかなか解決が難しいことにギャップの存在がある。

ギャップ:隙間、不足、欠陥

学生のころに感じていたギャップと社会人になって感じているギャップは形は違えど本質は一緒だと最近思うようになってきた。

学生のときは学習理解進度であり、会社では業務理解進度ということかな。

ギャップを持つ対象者は本人の他に先輩や上司、後輩や部下だろうか。

ギャップというのは僕は基本的には利益よりも不利益を生み出すことが多いと考えている。

そしてこのギャップをどれだけなくせるかが、誰しもにとって利益や幸せになると思うんだ。

ギャップが生み出す負のスパイラル

学生の視点でギャップの生み出す不利益を考えてみる。
場面は授業がわかりやすいかな。

授業とは一般的に1対多数で行われる。
1は先生。多数は生徒。ここにはすでに学問や科目に対する習熟度の違いというギャップが存在する。

これは本人だけではなかなか解決が難しいと思う。
展開として予想されるパターンは
  1. 授業時間内の理解
  2. 自身で調査、復習、理解
  3. 先達に教えを請う、理解
  4. 諦める
かな。1、2ができればよいも思うけど…。
結構な割合で4になるような気がする。
少なくとも僕はそうだったorz

そうなると負のスパイラルが始まる。
至極当たり前なんだけど、
わからない→授業進む→さらにわからない…以下略。

これでいくつもの単位を投げて捨ててきた。笑

3の選択肢が自分にもっとあったらよかったなと振り返るわけです。

先生には聞けない。ってか先生が質問ウェルカムな姿勢を見せていることが少なかった。
誤解がないように言っておくともちろんめっさウェルカムな先生もいたよ。そういう場合は理解までたどり着けることが多かった。
理解までいけなかったときは先生の言ってることが高度すぎてわからんかった。反対にかんがえれば、先生も僕のレベルが低すぎて何を言ってるのかわからんかったんだろうと思う。

間をつなぐ役割の重要性

んで、何を血迷ったのか、僕は3の選択肢を選べるようにしたいと考えた。
ってことは自分が間に立っちゃえばええやん、みんなヒッピ…じゃないやハッピーやん!\(^o^)/みたいな。

実際には相談室的なものを作ったり、TAやったり。失敗もあり、成功もあり。

本意としては初心者の言っていることとプロフェッショナルの言ってることをそれぞれのレベルの言葉に翻訳できる人がいると有益じゃん?ってこと。

僕は未だにこれがやりたいなぁ思ってる。
なんだろ、特に何かに秀でてなくてもできることがあるというか。

学生の話でつらつら書いてきたけど、これは社会人になっても一緒かな。
それで僕よりも若い世代が先達の言葉を少しでも理解して成長したいって熱いものを持てればよいし、先達にとっても人材の発見がうまくいけばWinWinじゃんな、と。

まだまだ勉強や経験が足りないけど、そういう力を持てたら少しでも幸せを増やせると思ってる。

そういう職業ないかな?笑

できる人がフォーカスされていてやっぱり華々しいけど、そこにイケるかもしれない人はたぶんまだまだたくさんいると思うんだ。