読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

convivialのある生活

楽しく生きることについて感じたことを心理学や人間関係の視点から書い綴ってます。

トラウマと戦うのは良い手ではない

--シェアする--

ボーダーと知り合って、自分も壊れてみてわかったこと。
それはトラウマとは正面切って解決しようとしないほうがいいと言うこと。

僕の場合の話だけど周りの人間、特に父親からはトラウマと向き合うことを強くすすめられた。ほぼ強要された。
僕は向き合うことを選択しなかった。
というか、向き合うってことの定義が違ったので父親いう向き合う、ということはしなかった、というのが正しい。

僕の父親は他人の心を慮って何かをすることが出来ない人間である。
親として心配があるのはわかるけど、過干渉だ。
自分が正解だと思うことが息子にも正しいと思っている節がある。
そして自分の子供のことはすべて知っていないと気が済まない。

多くの親はある程度の時期に子離れするが、うちの場合はそうならなかった。僕自身も親への癒着が強かったと思う。


大学が遠隔地だったので今までの親との距離感を客観的に見れるようになった。


感謝はしているけれど、そういうところは否定的だな。


話がずれたけど、トラウマとは真正面からぶつからないほうがいいって話。

ケーススタディだと思うけど、僕の場合はボーダーの女性との問題がトラウマとしてあった。

いったん区切りをつけられたので、2、3ヶ月たったころに何が自分の中に起こったのか掘り起こしてみたことがある。

結果、フラッシュバックのように当時の嫌悪感や自傷願望が思い出されてキツくなった。

僕はこのトラウマはこれから先楽しく生きていくにはいらないモノだと感じたので、他に楽しいことを探そうと決心した。

この判断は今でも間違っていないと思っている。


ただ、父親にしたら、臭いものに蓋をしているだけ、だそうで理解はされていない。

トラウマを克服することが最善の策と思ったらそれは大間違いだと思う。

といいきれるのも、今でも僕が僕であるからだ。

そして、トラウマの対象だっま彼女が亡くなった今は、人生の糧になっていると思う。寧ろ感謝だなりる

たぶん、他の人より少しだけ心に余裕がある。そして、自分がどこまでイけばヤバいのかわかるようになっている。だいぶタフになった。

当時はこんな余裕が生まれるとは思ってもいないくらい大変だったけど、今となっては僕の拾い物だと思っている。


早急に解決しないといけない必要性があるのはカウンセリングでも受けなきゃいけないだろうけど、それだけが選択肢ではないと思う。


僕は時間をかけて、楽しむこともトラウマから解放される一つの方法だと思う。


こんな解決方法もあると思うので楽しくできる仲間を作ってみるのもありじゃないかな。